コラム 2005年

いま出来ることをやるということ

縁起でもない話ですが、人はいつ死を迎えるか、分かりません。自分はもちろんのこと、他人もそうです。自分について覚悟するのみでなく、他人についても覚悟しなければなりません。私で言えば、さらにペットの猫の死もまた、覚悟しなければなりません。

人の時間は有限です。その有限の中で、いかに生きるか。いまの日本であれば、かなり大勢の人が何もしなくても、食べていけます。でもそれでいいのか。テレビに登場する、アスリートたちやアーティスト。いろんな競技の選手とか、芸術家とか音楽家とか歌手とかのことです。
彼らの目は、とにかく輝いて見えます。真剣なまなざしの中に、光り輝くものがあります。

それはなぜか。常に前を見て、目指すものがあって、いま、この瞬間も、そのために努力しているからだと、そう思います。
目の輝きは、ずっと先にある自分にとっての光り輝くものを追い求めている、その輝きだと思うんです。

時間の過ごし方は人それぞれ。どう過ごしても、同じように時間は流れていきます。
それなら私は、前を向いて、努力して過ごしたい。そう思っているだけでなく、ちゃんと実践したい。誰から見ても、そう見えるように、実践したい。大変かもしれないけれど。

もう平均寿命の半分近くに来たけれど、いつかその目の輝きを誰かに見つけてもらって、それによってその人に再びがんばる力を与えたい。そう思います。

男30歳。今それが、ちょっとした目標です。

物を大切にするということ

あなたは、物に顔が付いているのを想像したことがありますか?

機関車トーマスには顔がありますよね。そういったことを想像してみてください。物にだって、顔があり、そして、命があるのです。

もしあなたが誰かに叩かれたら、痛いという顔をしますよね。物も同じです。叩かれたり、乱暴に扱われたら、痛いという顔をします。物だって、痛がるんです。

みんなが痛いと思う時は、叩いた人に謝って欲しいでしょう。物だって同じです。もし、乱暴に扱ってしまったら、ちゃんと謝りましょう。

そうすることで、物にも命があることが、どんどん感じられるようになります。

自分の体も、また大切です。自分の手のひらに顔が付いているのを想像してみましょう。その手で何かを叩いたりしたら、痛いって顔をしますよ。叩かれた方にも顔があって、そっちも痛いって顔をしますよ。

だから、叩いた物にも謝って、自分の手にも謝りましょう。

物にも、手にも、他の所にも、いつも顔が付いているのを想像してください。みんなが優しく接すれば、きっと笑顔でいてくれます。でももし乱暴に接すれば、痛い、悲しいという顔をします。

そんな顔をさせないように、いつでも優しく接してあげましょうね。


制作・著作 宗教法人正太寺