コラム 2004年

迷信

お寺は迷信に接する機会が多いです。機会が多いというより、「それは迷信だ」という区別が付いてしまうというべきかもしれません。普通であれば迷信かどうかも考えもせずにいることを、仏の教えに照らし合わせてしまうから。

迷信だからと言って、それを簡単に否定するわけにもいかないのが難しいところです。和尚の発言力よりも、一族の長老の発言力の方が強い場合も往々にしてあります。どちらがより良いかはケースバイケースでしょうけれど。

結果があれば原因がある。なにごとにおいても。それはお釈迦様の教えの根本です。ですから、迷信が生まれたのにももちろん理由があり、そして現在に至るまでの歴史があるわけです。だから迷信と言っても、それが間違っているとか、そういう程度の問題ではないんですよね。

ただ、行き過ぎた部分があれば是正することも必要です。そのバランスは難しいですが。こうやって書いてても、具体例を挙げられずにいるくらいですから。

迷信よりも例を挙げやすい事象として、神道との混合がありますね。火葬場から帰ってきたら塩をもらいますよね。あれは、仏教徒の場合は必要ないんです。(表現が適切かどうか不安ですが)死を嫌う神道ではいろいろなところで清めというものが存在します。この塩もその一つだと思われます。神仏混合の時代があったため、仏式であっても塩が必要とされるんですよね。

でもね、これもまた難しいところがあります。私の地域では、仏教徒であっても神棚があります。みんな氏子なんです。そういう地域が日本のほとんどを占めるのではないでしょうか。これも神仏混合の時代があったから。原因はといえば、廃仏毀釈を逃れようとした仏教教団にあるんでしょうけれどね。

仏式で葬儀を行っても、氏子でもあるのですから塩で清めるのは不自然で無いとも言えるわけです。よその国の人には理解しづらい部分でしょうけれど、日本においてはむしろ自然かもしれません。





考え方の基本は、その考えがその人のためになっているかどうか、です。迷信だって信じれば真実です。それが好影響を及ぼすのであれば私はそれで良いと思います。塩で清めるのだって、それで気が落ち着くならば。

ただ、塩で清め忘れたためにそれをずっと不安に思うのであれば、そのときは「仏教を信じるあなたには、浄も不浄もないんだから、清める必要なんてないんですよ」と言ってあげたいです。

歴史の中でいろんなことがこねくり回されてとても複雑になっています。でも、求めることはとてもシンプルです。それを見失わないように、たくさんの人を導いていける和尚になりたいです。

人生経験

よく言われることですが。


よく言われることだと思うのですが。


・・・よく言われることだと、思うような気がする程度の、そんなことですが。


例えば和尚という、誰かにお説教をしたり、相談を持ちかけられたりするような肩書きを持つならば、様々な人生経験を積んだ方が良い、と。

アルバイトでもなんでも、いろんな仕事をしてみたり、夜遊びや賭け事、酒たばこなどの控えるべきことに精を出してみたり。

そうすれば、そういう立場の人の気持ちも分かるようになる、と。

「確かにそうだよな」

そう思ってきました。実際にそれをしてきたわけではないですけれど、きっとその方が良いんだろうなと、思ってきました。

でも、お風呂に入りながらふと思いました。

いろんな仕事をするのはともかく、夜遊びや賭け事などは、「それをしない経験」というのもあるんじゃないかな、と。

もちろん朝までカラオケで歌っていたこともありますし、賭け事は・・・そういえばやったことないか。とにかく、夜遊びは羽目を外すほどではなかったです。お酒は幸いにも下戸なのでそれで人生狂わせてもいませんし、たばこは絶対吸うものかと決めています。

だからまだ私は、「それをしない経験を経験している」と言えるでしょう。


人生経験が豊富というと、いろんな種類の経験を積んだことを指すように思いますが、こうした「それをしなかった経験」というのも、立派な人生経験になるのじゃないかと思います。

するかしないか、どっちがいいかなんてそんなことを考えるのは私にとって意味がありません。考える時間がもったいないから、自分に向いている方を進むだけです。

私は私。こんな私の経験がきっと役に立つときが来る。きっと人のお役に立てる時が来る。そう信じて。

限定品

人生とは素晴らしいものだと思います。
自分の人生はだれにも真似できない自分だけのもの。

人の人生を真似しようとしたって、その人の人生を送れるはずはありません。


どんな境遇にあったって、その人生は自分のもの。

御釈迦様はあらゆるものの所有を否定したけれど、その御釈迦様だって、人生だけは御釈迦様のもの。捨てようもないですもの。どのように生きたって、生きてきたその人生はなくならないんですから。


今が幸ならもちろんのこと、今の自分がつらくても、明るい未来が想像できなくても、暗い過去をひきずってても、それでも人生は素晴らしいものだと思います。

だってそれは、ほかに二つと無い、自分にしかない、たった一つの人生なんですから。


人生を楽しいととらえるか、つまらないととらえるか、苦しいととらえるか、もちろん人それぞれでしょう。


私は、、、私は楽しいと思って生きてます。一つしかないなんて、究極の限定品ですもの。限定品に弱い私には、これ以上ないお楽しみですから。


制作・著作 宗教法人正太寺