雲は良い。
雲を見ていると、世の中が無常であることがありありと感じられる。
常に姿を変え、一定の形でいることがない雲は、なにもかもが変化し続けていくのだということを、我々に教えているようでもある。
言葉すらも一定の意味を表し続けられないことを、雲は、私の脳に、訴えかけてくる。
「雲」と聞いたとき、あなたはどんな雲を思い浮かべるだろうか。
入道雲、ひつじ雲、雨雲、雷雲
それとも、青空に一つだけぽかっと浮かぶ雲だろうか。
きっと、頭の中に思い浮かべられた雲は、人によってそれぞれで、一つとして同じ形のものはないのであろう。
自分の気持ちを言葉で伝えることが、いかに難しいことであるか。分かっていただけただろうか。
その「言葉」に、人は頼りすぎているように思う。
人類史上、言葉ほど、自分の気持ちを伝えるのに適したものはないかもしれない。
そうであったとしても、言葉が伝えられることの限界というものは、先ほど示したとおりだ。
どんな形容詞をつけても、自分の思い描いた雲を、言葉だけで伝えることは不可能だ。それなのに人は、言葉だけですべてが伝えられると、「思い込んで」いるのではないだろうか。
言葉の限界を自覚していても、いつのまにか、言葉の魔術に惑わされているのではないだろうか。
では、どうやって気持ちを伝えるのか?
ありとあらゆるすべを使って、体全身を使って、瞳を使って、もちろん言葉も使って。
それでも、気持ちを正確に伝えることは不可能だと、覚悟する必要がある。
「無理なのだ」と。気持ちを正確に伝えることは不可能なのだと。
100%伝わることを、望んではいけないのだ、と。
それでも、ふとした瞬間に、驚くほど正確に、相手に気持ちが伝わることがある。
言葉など、発していないのに。何も、語っていないのに。
人というのは、つくづく不思議な生き物だと、思う。
