戒律とは、自分のためのものである。
曹洞宗では、殺生を戒律で禁じています。人を殺すことのみならず、むやみに動物を殺すことも、植物の生命を奪うことも禁じています。さらに、自分の命を奪うことも。
ほかにもいくつか戒律があり、授戒会という儀式をとおして、その戒律を和尚様より授けていただけます。いわば修行の第一歩ですね。
我々僧侶はとうぜんこの戒律を授かっているのですが、檀信徒のみなさまにもぜひ授かっていただこうと、布教を行っているわけです。
それはともかくとして。
いま解説したとおり、戒律は授かるものです。いただくものです。けっして強制されるものではありません。
戒律を犯したときは、自分で自分を律する必要があります。修行が未熟なうちはそれができないため、先輩の僧侶に厳しく指導していただくことになります。
この指導だけをみてしまうと、いかにも戒律を強制されているようですが、何度も言うとおり、戒律とは授かるものです。自分の意志で、授かるものです。
なぜ何度も同じことを繰り返し書いているかと言いますと。
最初に書きました、殺生を禁じる戒律。自分の命を奪うことも禁じていると書きました。単純に表現すれば、自殺はいけないこと、と言っているわけです。
ここで注意しなければいけないのは、戒律で禁じているからといっても、自殺した人を責めて良いわけではないということです。戒律とは、あくまで自分を律するためのもの。人に押しつけるためのものではないのです。
それゆえに、我々僧侶は、自殺した人でも他との別なく、葬儀を営むのです。
ちなみに曹洞宗の葬儀は、先に述べた授戒会を含んでいます。授戒した後、弔われます。
戒律とは、自分のためのものなのです。他人に強制するべきではありません。もっとも、授戒した人が戒律を犯している場合は、ともに修行している身として、厳しく注意をするのは当然ですね。
では、授戒をしていない人が戒律に反した行いをしている場合はどうしたらいいかと言えば、こうした戒律があるから、こうしたほうがいいのでは、と提案するのが良いのではと思います。
無理に押しつけるのでは反発をされるだけですから、やんわりと伝えましょう。そうやって、一人でも多くの人が戒律を守って生活していけば、この世の中、平和になるんですよね。
平和な世の中に、早くなってほしいなぁ。
