お年忌

 お年忌。法事とか、年回忌とか言いますね。どれも表現の違いであって、どれもあっています。

 そんなことを言いたいわけではなくて。

 お年忌とは何か。それをちょっと考えてみましょう。

 普通、亡くなった日の100日後に、「百ヶ日」というお年忌をします。年単位ではないのですが、慣習的にお年忌に含まれるようです。

 その後は、一年後に一周忌。2年後に3回忌。2年後なのに3回忌というのは、命日が3回目、というわけですね。その後は、7回忌、13回忌、17回忌と、3と7のつく年回忌が続きます。47回忌のあと、50回忌があり、その後は100回忌となります。

 でも、50回忌、100回忌というのは聞いたことがありませんね。だいたい33回忌を終えると、その後はやらないことが多いです。孫、ひ孫の代になってしまいますから。

 もちろん、我が曹洞宗の大本山である永平寺を開かれた道元禅師様などの、とってもすごかった人については何百回忌でも行います。来年は道元禅師様の750回忌だったりします。

 それはともかく。

 お年忌って、なんのためにやるのでしょう。疑問に思ったことはありませんか?

 一般的に言われているのが「先祖供養のため」というものですね。自分たちが生まれるご縁を与えてくださったご先祖様を、敬い、供養する。そんなところでしょうか。

 供養するというのは、お供え物をして、ご加護を願い、冥福を祈る、と言うことのようです。

 でも、仏教は祈りの宗教ではなくて、仏への道を歩む宗教です。みんな仏様になれる資質を持っている。だからみんな、仏様となるべく、修行をしていきましょう。そう呼びかける宗教です。(宗派によって違うところもありますけど・・・)

 その仏教が「冥福を祈る」というのは、違和感がありませんか?

 さて。では、お年忌とは何なのでしょうか。

 わかりやすく表現すれば、「きっかけ」であるといえるでしょう。菩提寺のご住職にお会いするきっかけ、法話を賜るきっかけ、お経を読むきっかけ。(正太寺では、お年忌の時にはみなさんにお経本を持っていただいて、いっしょにお経をお唱えします)

 菩提寺のご住職にお会いして、直接お話をする機会がもてるということは、菩提寺とのつながりを強化する上でとても重要なことです。つながりが強まれば、気軽に相談事もできますし、仏法に触れる機械も増えます。とても良いことです。

 法話を聞くことはとても良いことです。法話は、いろいろなことについて考えるきっかけを与えてくれます。仏に至る道を歩む仏教徒にとって、それはとても刺激となり、次の一歩の活力となるでしょう。

 お経を読むことはとても良いことです。現代語ではありませんが、日本語で書かれたお経もあります。訳の分からないお経でも、実際に漢字で書かれたお経本を見ると、何となく意味が分かるところもあります。

 曹洞宗で一番用いられるお経に「修証義(しゅしょうぎ)」というお経があります。この冒頭に「生を明(あき)らめ死を明らむるは、仏家一大事の因縁なり」とあります。

 「生と死をはっきりとさせることは、仏教徒にとって一番大事なことですよ。」ということです。私はこの一文を読むたびに、「生とは何だろう、死とは何だろう」と自問自答します。

 この話を聞いた人のうち何人かは、次にこの文を目にした時に、私と同じように自問自答することでしょう。

 そうやって考えるきっかけを与えてくれる。様々なきっかけを与えてくれる。

 そしてこれは、亡くなられた方が現世に生きる我々に与えてくれた、大事なご縁でもあります。

 その功徳に感謝しながら、そのきっかけを大事に自分のものにする。それがお年忌です。ご先祖様のご冥福をお祈りする。それももちろん大切なことです。でもそれと同時に、こうした様々なきっかけを与えてくださったご縁を大切にしましょう。

 お経は長くて退屈で、足もしびれる。でもそう言わずに、その中にあるきっかけを探してみてください。きっと、有意義な時間になるはずですから。

制作・著作 宗教法人正太寺