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 先日、まだ20代前半の方のお葬式をしました。 数人の方が弔辞を述べられまして、親族の方々は泣き崩れていました。
 なぜ・・・?なぜ人には死というものがあるのか。いや、あるにしても、なぜ、せめて、親より先に逝くなどということは・・・

 いくらなんでも。
 死はあらゆる生命に対して平等に訪れます。しかし、その順番はけして平等ではありません。

 あるものは両親を見送り、子供たちに見送られ、安らかに眠りにつく。
 しかし、本来自分が見送るべき両親に見送られることもある。
 誰に対しても死は突然訪れる。そう表現すれば、確かに死は平等でしょう。でも、悲しみは・・・

 やはり、若ければ若いほど。それから送るはずだった人生が長ければ長いほど。
 私は僧侶です。死についても、ある程度の宗教的解釈も持っていますし、時としてそれを人に諭しもします。でも、やはり、目の前にある死は、つらい。血がつながっていようがいまいが。多くの人がそうであるように。

 死があればこそ、今の生が、生きているというこの瞬間が、より輝く。誰かがこんなことを言っていました。
 たしかに、死があってこその生。我々が生きていく過程でも、多くの命が失われ、その命に支えられている。
 人は、死に対してあまりに無力です。それは回避できない、絶対的なもの。

 だからこそ、せめて、今ある自分の命に、それを支えるすべてのものに感謝したい。自分から命を捨てるようなことはあってはならない。
 今、強く思います。

制作・著作 宗教法人正太寺